小出川上流の谷戸 

 嘗て、小出川上流部(藤沢市西北部一帯)には多数の谷戸がありました。その殆どが、埋め立られ消滅し、住宅地等に姿を変えています。

 以前、谷戸があった場所を下の地図で示します。

1:笹窪谷、2:神明谷(打越谷)、3:慶応大学SFC開校で姿を消した谷戸、笄の谷?、4:この地区で最も高い場所(堀切山 標高52m)、5:弁天谷(琵琶島谷)、6:西の谷?、7:広谷、8:星の谷、9:下田谷 「谷はヤトと読む」

(参考:「遠藤の昔の生活」1980年 藤沢市教育文化研究所、 

    「遠藤村今昔」1981年 遠藤公民館) 

 現在残っている谷戸は1番の笹窪谷のみで、それも上流の半分程度が残されているのみです。谷戸を人の指に例えると、指1本のみで枝谷戸が無いため、環境改変あった時、そこの湿性の生き物は逃れる場所が有りません。小出川の源流は最も標高の高い場所から流れる5番の弁天谷(琵琶島谷)とされていますが、現在は住宅地の下になっており、自然流での源流は1番の笹窪谷が相応しいと思います。

 慶応大学バス停留場付近は、昔あった谷戸の出口が集中する場所であるため、雨量が多いと、冠水して交通に支障が出ています。

 平安時代中期(西暦927年)に編纂された「延喜式神名帳」に寒川神社と共に宇都母知神社が載っており、この地区に既に集落があったとされます(Wikipediaを参考)。